6月がもうちょっとで終わる。なんか去年のことは思い出せないが涼しい気がする。去年のここのメモを読めばいいのだろうが自分の書いた過去の文章なんて読みたくはない。なんで記録しているんだろうか・・・
やっていたとは仕事と勉強と家事と歯医者であんまりコンテンツ接種はしなかった・・気がする。しかし一番のコンテンツは歯医者かもしれない。コンテンツではないがコンテンツとすることにしなければやってられない。がんばろうね・・すべてが恐ろしくなり、基本的におやつを食べない・甘い飲み物を飲まない・などをしているが果たして。でもこれをすると、基本的に飯がたくさん必要な体質なのでしっかりしたご飯を3食のタイミングでとる必要がありなかなか難しいね。ふつうそうかもしれんが・・
仕事も頑張ってるがやはり人間の調整からは逃れられないので仕方ないね、給金ぶん頑張らなくてはならないが、どこまでがお給金に値する働きで、それを果たせているのか?とか考えると鬱屈とするので積極的に目をそらしたい。最近は自己との折り合いのために半身で労働するぞいみたいなスタイルが出てきてるが、およそのひとは社会から逃れられないので、そのうえで半身でとか意識してそんなスタイルをとって向き合う器用なことは難しいとは思う、っていうか半分ってなんだ。『働いていると~』は、働いてて「できなく」なることは読書だけでないのにそういうタイトルにした本を出すというなんかこじゃれたアイテムになってて、人のなんか本読まなきゃなみたいなぼんやりした気持ちを刺激してうまいなあと思う、でも別に本以外でもなんでもいいのにねとは思う、日本人のなんか読書的なものへのあこがれはあると思うんだけど、べつに、ゲームでも観劇でも登山でもなんでもいいのに「本」として「本」で出すのがすごいなあと思うしなんかこうグロテスクさを感じる
ローテーブル購入とインテリア
メルカリで買ったローテーブルにやすりをかけたりしていた。傷はあるとは説明文にあったが、写真だけでは推し量れない傷があった。安いには理由がある。いままで安い整形合板の友人から10年くらい前にゆずりうけた机だったのが木でできた、ちゃんとした家具メーカーのそれなりの定価のちゃぶ台になったことで風味がよくなった。基本床の人間であるということを直視してみた。椅子をテーブルとして使ってたから・・
そしてインテリアの本をどかどか読んでいる。フォーカルポイント、難しいね。ライフスタイル系のWEBや雑誌、動画サイトなどいろんな媒体を見てると、出ている人って結構重複しててそりゃそうかとも思う。気づきたくなかったような気もするが、すべてに理由があるということだ・・
ホワイト餃子
なんか通りがかったところにチェーン?餃子屋がある・・と思って入ってみた。千葉発祥の有名なチェーンなんですね。行ったらすごいなんというか餃子というよりなんだ生地を揚げて・・なんかパンみたいになってて面白かった。日本人、米も粉も好きすぎる。普通の餃子より粉を置かずに米を食ってる感覚で面白かった。
部屋の照明
ずっとパナソニックパルックミニを使っていたが日々まぶしすぎて夜などは廊下にいがちだった。机もそうだが照明も悪いというのは気づいていたが面倒だったので放置していた。おそらく「文字くっきり光」が合わずにまぶしくてイライラするのだが、買い替えるのも業腹というか部屋の作りが悪くて(照明設置個所の近くに柱がある)かなり制約を受けてこのパルックミニを導入したのもスペース的にどうしようもなかったことを思い出した。というかデスク(ちゃぶ台)を壁につけているので天井にくっついてるシーリングライト一灯だとどうやったって手元が暗くてムカつく。オフィスや図書館、ひいては廊下はダウンライトなのでまぶしさが低減しているんだろうと思うが居室にもダウンライド設備を作っておいてほしかった。
LED電球って永遠なのかなって思ってたが公式を見ると、電球は生きてても、まわりの部品は劣化するのでそれなりに買い替えてちょと書いてあった。そりゃ永遠になったら電球とか売れないもんね。
山田照明Z-10G
というわけで買った。モニタもPCも黒いので黒を買った。見た目もやはりかっこよく、あかりも明るいがまぶしくないというコンセプト通りストレスを感じずに明るくなり助かるなという感じ。上付きクランプが良すぎる。可動域も思ってたより広く、長く使いたい。値段はまあ・・ミドルクラスだからといえば順当だが・・
モニタに引っ掛けるBenQみたいなモニタライトも迷ったが、実物を見るとあんまりよさが分からないというかデザインが気に入らなかった。自動調光機能とかもかっこいいなとおもったが、自分にとってまぶしい水準で調整されたら毎回むかつくことになりそうだなとも思った。どうなんだろう。あとリモコンが邪魔。
しかしプラスチック部分大丈夫か・・?というおそれもあるので大切に使いたい。明るさは無段階調整できてメモリー機能もありつけた瞬間最大の明るさで萎える、ということもなく助かる。
今月は朝倉の昔からの統計トピック本を何冊か買ってさらさら読んだ。もうちょっと読みたい。基本的に読書量が足りてない気もする。インターネット検索でも表示されるようになってしまったAIのカスみたいな出力を浴びがちになってしまっているので、本を読むと安心する。AI、「使う」となると基本的に出力させてそれを読んでまた指示をだすのを気力が続く限り回すという嫌な作業になりがちなので疲れるし飽きる。自分がボトルネックになる感覚にさせられてそれもイラつく。瞬時に出力は出てくるが、操作する人間がわかることしか聞けない。自分自身をもう少し広げるにはちゃんと勉強しなくてはならないねと思う、知ってることしか知らんからな・・私たち・・っていうかプロンプトの評価みたいなのも定量的な評価与えるのは難しくないか?でもちゃんと賢い人が言ってそれをもとになんかさらに賢くなってるんだろうな。
今のところ高速で普遍的な出力が、高速な業務処理につながるとは思いにくい、PCが普及しても労働してるのと変わらんことになるんじゃなかろうか。普遍的な出力の海の中でそれを拾い上げるのは個々人なので、もしかしたらすごい普遍的で総合的な出力になってるのではと思っていてもすごい個人のエゴがあるような出力になるのではなかろうか・・
とりあえず好きなものを自分で作るという意思を持ったりするのは変わらず必要でそれしか残らないかもなとも思う。だからそれを意識してやりたいことを・・やりたいのだが・・
来月はちいかわの映画、その次はまどマギの映画、その次はノーランのオデュッセイアになるが映画館行くのタルいなと思う。ゴッホのアルルの跳ね橋はどこかで絶対見たいのだが



